YOUNG RACERS

TOP ROOKIE 2022トップルーキー 2022

トップルーキーとは?

hyuga nakamura 5043中村 日向

香川支部5043中村日向です
最後のゴールまで目の離せない
レースができるよう頑張ります

Information 2022年1月現在

  • 生年月日:1998/11/8
  • 支部:香川
  • 出身地:香川県
  • 身長:164cm
  • 体重:58kg
  • 登録期:122
  • 級別:A2
  • 血液型:O

トップルーキー2022 5043 中村日向

2018年5月16日丸亀ボートデビュー行けるときには果断に突き進む!

香川の122期生は2018年5月に丸亀でデビュー。水神祭に7ケ月を要するなど、2年ほど結果を出せずにいた。
しかし、2020年9月末の津一般戦から大きく変わる。
5コースからまくり差して初戦を制すると、大敗なく選抜戦に駒を進めたのだ。
このシリーズを契機に、5大会連続で白星を挙げたばかりか、2着・3着が激増。勝率を上げている。
猛烈な練習の成果であることは間違いなかった。
なにより接戦に強くなった。
躊躇がなくなり、行けるときには果断に突き進む「力感」が一気に増したのだ。
むろん相手は不問である。
大きな舞台、強豪がそろったシリーズこそ、自らの見せ場。
ステージが上がれば上がるほど楽しみな存在である。


中村 日向 選手
×
BOATBoy編集長
黒須田守
ロングインタビュー
前編

なかなか勝てない焦りと不安

――まず、ボートレーサーを志したきっかけを教えてください。
中村 中学2年生か3年生だったと思いますが、今の師匠の秋山広一さんにペアボートに乗せてもらったんです。そのときにすごく面白いなと思って、ぼんやりとレーサーになりたいと思い始めました。仲のいい友達が秋山さんの甥っ子だったんですよ。それがボートレースに関わるきっかけになりましたね。そのときは、そういう仕事もあるんだなってくらいにしか思っていなかったんですけど。
――中学2~3年といえば、そろそろ進路を考え始める時期ですね。当時、ほかに目指してたものはありましたか?
中村 いや、特にしたい仕事がなかったので、ぼんやりと大学に行って何かしようかなくらいで、具体的なものはなかったです。もともと車とかモータースポーツ系は好きでした。そっち系の仕事に携わるのもいいかなと思ってたので、ボートレースもアリだな、と。
――勝負の世界に興味は?
中村 ありました。サッカーをしてたので、運動も好きでしたね。

――ボートレーサー養成所の入所試験はすぐに受け始めたんですか?
中村 合格が難しいとも聞いていたので、いちおう大学に行く準備もしながら、高校3年生の冬に初めて受けました。その1回で受かったんです。
――受験勉強も並行しながら、養成所も受験した。
中村 けっこう大変でしたね。センター試験の前日に養成所の合格通知が来たんですよ。
――センター試験は?
中村 試験だけは受けました。
――受けただけ? 養成所は厳しいところで、生き残るのも簡単ではないじゃないですか。大学も合格しておこうかなとは?
中村 今となっては退路を断ってましたね。養成所を辞めたら何もすることがないことになっちゃうんで、そういう意味でプレッシャーをかけていきました。この道しかない、くらいの感じでしたね。
――それで養成所入り。それまでとはまるで違う生活ですよね。
中村 それまでは高校生で、ゆるい感じでやってきたんで、すべてのこと――時間とかルールとかが厳しいですし、統率された中で自分の力を発揮していかなきゃいけないというのは難しい生活ではありました。
――訓練も厳しかったでしょ?
中村 今考えると当たり前のことができてなかった感じなので、怒られて当然だったなと思ってますけど、やっぱり厳しいのは厳しかったです。あのときの自分にとっては、本当に厳しかった。でも辞めようとは思いませんでした。退路を断ってきたのもあったし、絶対レーサーになるぞという気持ちだけは強く持っていましたね。

――同期の方たちとはすぐに打ち解けられました?
中村 養成所のなかでは、それなりに仲がいいかなという感じでしたね。卒業してからのほうが仲がいい感じです。
――特に仲がいい方はいましたか?
中村 やっぱり同い年の畑田(汰一)とか金田(智博)、荒巻(凪沙)、倉田(茂将)あたりとは仲が良かったです。
――養成所時代に印象に残ってる思い出はありますか。
中村 うーん、僕、あんまり記憶がないんですよね(笑)。(訓練期間が)一瞬すぎて、そこまで楽しかったこととか覚えてないんです。日曜日の休みのときに、仲のいい同期と部屋のなかで普通にしゃべったりっていうのが息抜きにははなってました。
――教官からすごく怒られたりは?
中村 それなりには怒られてました。成績もいいほうではなかったので、めっちゃ怒られたというわけではなかったですけどね。いちばん最初に小隊長をやったんですよ。そのときにガツンとやられて、「こういう場所だから気をつけなきゃいけない」とは植え付けられましたけど(笑)。

――成績はいいほうではなかった。
中村 けっこう下のほうだったと思います。自分なりに頑張っていたんですけど、ぜんぜん勝率が獲れなくて(リーグ勝率4.5)。今思うと、「無事故」というのが自分のなかで大きすぎて、旋回にメリハリがなかったり、攻めのレースができてなかった気がします。まあ、シンプルにヘタクソでした。養成所のときはけっこうヘタクソでしたね。
――好成績の人を見て焦ったりは?
中村 養成所を出てもA級にはなれないかもしれないな、とか思いました。畑田とかはずっと上手かったので、けっこう差はついてるなって感じてましたね。
――では養成所を卒業するときに不安もあったわけですか?
中村 そうですね。クビにならないか心配でした(笑)。卒業してからも、(地元の)丸亀はけっこう練習させてもらえるんですけど、同期3人(谷口知優、田頭虎親)で練習してても「お前、ほんまクビになるぞ」って言われたこともあったんで。
――今となっては想像がつかないですね。ただ、たしかにデビュー節はオール6着。
中村 こんなもんなんかなと思いながら、自分の現実と先輩方との差を感じましたね。もちろん悔しかったですけど。でも、その節は師匠の秋山さんと一緒で、「最初はみんなこんなもんや」って言われたんですよ。だから、不安はありましたけど、頑張ろうという気持ちはなんとか持てましたね。
――ちなみに、デビュー戦は緊張しましたか?
中村 僕、めちゃくちゃ“緊張しぃ”なんで、凄かったですね。いつもの陸の上の仕事は完璧にこなしてるはずなんですけど、あのときはテンパりすぎて抜けてる部分が多かったんですよ。自分のことで精いっぱいになっちゃって。一節間、あっと言う間に終わって、なにも覚えてないくらいに緊張してましたね。
――それから、初勝利までも時間かかってるんですよね。
中村 2年くらいですかね(1年7カ月)。

――焦りはありましたか?
中村 もう、才くん(原田才一郎)がデビュー戦で勝ったりとか、福田翔吾も(1年半で)10何勝していたりとか、めっちゃ焦りがありましたね。そのときに、F2やっちゃったんです。さらに手のケガをしてしまって、負の連鎖がつづいたんですよ。それで4カ月くらい、走れなかったんです。その間に考え方もいろいろ変わって、意外とすぐに水神祭ができたんですよ。そのF2とケガが自分のなかでは大きかったところがありました。
――考え方が変わったというのは、焦るのはやめようということですかね。
中村 焦らずにしっかりいこう、と。それまでは周りの同期と比べたりしてたんですけど、先輩方にも「そんなに焦らんでも、自分は自分でやっていけばいい」って言っていただいて、それを頭に置きながら練習したりして、ちょっとずつ考え方が変わっていった感じですね。それがいい方向にいったんだと思います。
――その間に技術の進歩も実感できてましたか?
中村 練習ではけっこういいターンができたりとか、いいまくり差しで入れたりとか、そういうのが増えてきてました。「それが実戦でできんのがお前や」って先輩にも言われて、それを自分なりに考えながらやってましたね。それで、本番は緊張しすぎて、いつもの自分じゃなかったなっていうのが辿り着いた結論なんです。だからリラックスしてレースにいくようにして、ちょっとずつ成績が上がっていったんです。
――お話を聞くと、初勝利や成績アップに関しては気持ちの部分が大きかったんですね。
中村 そうかもしれないですね。
――デビュー初勝利を果たして以降、成績が順調に上がっていったじゃないですか。何か掴んだものがあったんですか?
中村 これが本当にきっかけみたいなものがないんですよ。これも師匠の秋山さんに言われたことなんですけど、「人が上に上がっていくときにはきっかけとかはないもんや」って。たしかに成績は上がっているんですけど、これといったターニングポイントとかはなくて、いつも通りやってたらちょっとずつ数字が上がっていった感じですかね。
――地力が身に着いたということですね。
中村 ちょっとずつ、力がついてきたのかなって感じます。

後編へ続く(2022/9/15頃更新予定)
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ロングインタビュー
後編

登番5000番台、初のGⅠ優出

――今年、トップルーキーに選ばれました。
中村 嬉しいですね。記念にも呼ばれるし……またA2に落ちちゃうんですけど(笑)。
――惜しかった!
中村 1点に泣きました(A1級ボーダーは勝率6.22。中村は6.21だった)。力が足りなかっただけなので、来期は7点目指してまた頑張ります。
――トップルーキーに選ばれて、責任感は芽生えたりしました?
中村 出走表にも「☆」とかついたりするので、そういうので買ってくれたりするお客さんもいると思うんですよ。その面では舟券にもしっかり絡まなきゃいけないなと思いますね。何もないときよりは責任感が生まれてると思います。
――トップルーキー講習会はどうですか?
中村 めちゃくちゃいいですね。凄いです! 凄いゲストの方が講師で来てくれて、普段話を聞けない人からいろいろ聞けますからね。(4月の講師は松坂大輔氏)松坂さんにも考え方とかについて話していただいたんですけど、自分にも通じる部分があったんですよ。松坂さんは世界的な人ですけど、意外と考えてることは共通してるんだなと思って。そう思えば、自分も間違ってなかったんだなと思えます。

――A1級になって、トップルーキーにも選ばれて、手応えは感じていますか?
中村 でも、記念をあまり走ってないので……A1級といえばGⅠというイメージがあったので、そこで戦えなかったことについては手応えがないですね。
――仕方がないところもありますよね。今はルーキーシリーズの開催が多いので、A1級はそこに組み込まれることが多いから。
中村 ルーキーばかりだったりしますからね(笑)。自分のためを思えば、記念をもっと走りたいですけどね。
――記念を走ったら勝率を下げてしまうかもしれない。
中村 それでもやっぱりそこで走る経験値が大きいです。先輩にも「早いうちに上の世界を見ておけ。その経験をしておくのが大事」って言われたんです。僕もそう思って走ってます。
――今年1月の大村周年で、ヤングダービー以外のGⅠを初めて走りました。
中村 まったく存在感がなかったです。
――えっ、そうかな……?
中村 けっこうエンジンが良くて――遠藤(エミ)さんがクラシックを優勝したモーターです、今思えば、これなら準優くらいは乗っておかなければいけない足だったなっていうのがあります。1等も獲ったけど、6等もけっこうとったんで、そういうところでは歯が立ってなかったなと思います。
――節間2勝したじゃないですか。僕は初記念でなかなかたいしたもんだと思ったんですけど。
中村 …………僕、ちょっと高望みしすぎですかね(笑)。
――いや、その意気や良しです! 相手がトップレーサーばかりで、気後れしたり怯んだりはしませんでしたか?
中村 いや、みなさんめっちゃ優しくて、話も聞きやすかったです。けっこう気持ちの部分について教えてくれたり、めっちゃタメになりましたね。あれを経験できたのは大きかったです。

――そして、一気に名前を売ったのが四国地区選です。優勝戦に駒を進めました。
中村 ほんっとにエンジンがめちゃくちゃ出ていて、ボートも良くて、これは優勝できるかもしれないなと思いました。優出はいちおう自分のなかでは、最低ラインだなと思ってました。準優に3枠で乗った時点から、菅(章哉)さんが隣だったし、「これは優出しなければ」と強気でいきましたね。
――予選道中もかなり手応えあったんですね。
中村 これは準優に乗らなければさすがにヤバいって思ってました。エンジンが今まで乗ったなかでいちばん出てたんで、自信はありましたね。
――準優はお見事でしたね(菅が2コースからまくり、中村が的確に差し切る)。
中村 自分の予想した展開通り、菅さんが攻めていってくれたんで、僕はターンマークを回るだけでした。
――いや、中村さんくらいのキャリアだと、思った通りの展開ならなおさら、腕が固まったりとかありそう。
中村 まあ、いくつもパターンは想定してはいましたので、意外とそういうのはなかったですよ。
――けっこう気持ちは強いほう?
中村 いや、弱いほうです。
――そうなの?
中村 はい。自分をしっかり奮い立たせていかないと負けてしまうので、強い気持ちでいって、なんとか持ってるって感じなんです。
――僕はこれまで、若手レーサーがいいモーターに乗って、絶好のチャンスを目の前にして、緊張とか焦りで失敗するところをたくさん見てきてるんですよ。だから、あれがきっちりできるのはすごいなと思った。
中村 いやいやいや。プレッシャーに弱いほうなんです。サッカーでもPKを外すほうでした(笑)。メンタルは弱いほうです。
――でも今回のPKは外しませんでしたよ(笑)。
中村 あれはもう、がちっとしっかり準備していったんで。
――プレッシャーに負けないメンタルを持ててきたのでは?
中村 ああ、少しずつできてきたかもしれませんね。

――優勝戦を振り返ってください。
中村 結果論としては、進入で失敗しました。田村(隆信)さんが前付けに来たところで縦方向に持っていってたら、もう少し浅いところで起こせたと思ってます(田村が2コースに入り、中村は3コーススロー)。悔いは残りますけど、ただ、道中はしっかり競れて3等獲れましたので、また頑張っていこうという感じですね。
――自信にはなりましたか?
中村 なりました。エンジンが出ていれば、それなりに戦えるってことがわかりましたから。そういう面でも、今の自分はエンジン出しがちょっと不得意なんで、そこをしっかりやっていかなきゃいけないなと思いましたね。
――トップルーキーとなった2022年、今年中の目標はありますか?
中村 もう、初優勝ですね。恥ずかしいですけど、まだできていないので、とりあえず優勝したいです。
――同期の畑田汰一さんが昨年、新人王を獲りましたね。
中村 畑田はもう優勝5回くらいしてるんで、僕が最初に特別タイトル(SG、GⅠ、GⅡ)を獲りたいと思います。
――GⅠ優出は登番5000番台でいちばん最初ですよ。
中村 僕は5000番台の最初のほうの登番なんで、それはそうですね(笑)。まあ嬉しいですよ。
――たとえば4000番で最初は田村さんでした。そういうレーサーはたいていSG獲ってる。
中村 ああ、そうならなきゃいけないですね。SGはまだ自分のなかでは現実的ではないんですけど、GⅠはコンスタントに準優出、優出できるようになりたいですね。

――最後に、レーサーとしての目標は何ですか。
中村 特に考えてはいないんですけど、お客さんにいっぱい名前を覚えてもらえるような走りをしたいですね。
――だいぶ覚えられたでしょう。
中村 でもまだ「中村」で強い人はいっぱいいるんで、中村のなかでいちばん強くならないと(笑)。
――クビになるかもと言われたところからここまで来たんですから、やれますよ!
中村 頑張ります。僕のレースは、道中でもしっかり、3周2マーク、ゴールまで、前を追いかけるというスタイルです。だから最後のゴールの瞬間まで目を離さずに見ていただけるとありがたいですね。






水神祭記録

初出走
2018年5月16日~ ボートレース丸亀 一般
初1着
2019年12月23日~ ボートレース丸亀 一般
初優出
2019年12月23日~ ボートレース丸亀 一般

Q & A

Qトップルーキーに選ばれていかがですか?
A素直に嬉しいです!ありがとうございます。ですが、名実ともにトップルーキーだなと思って頂けるよう精進します。
Q自分のレーススタイルを教えてください。
Aスタートしっかり行って1マークで展開をしっかりついて道中で捌くスタイルです。
Q同世代でここは負けない!というところはありますか?
Aやる気、元気、根気
Qリラックス方法をおしえてください。
A自分の愛車に乗ってドライブしたり、仲の良い同期(5032 谷口知優、5037 田頭虎親)とキャンプしたりご飯を食べること。
Q2022年の目標を教えて下さい。
A初優勝すること。
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