YOUNG RACERS

TOP ROOKIE 2022トップルーキー 2022

トップルーキーとは?

miyu sanemori 4963實森 美祐

ルーキーらしく元気もりもりで
頑張ります!!

Information 2022年1月現在

  • 生年月日:1996/9/11
  • 支部:広島
  • 出身地:広島県
  • 身長:155cm
  • 体重:47kg
  • 登録期:119
  • 級別:B1
  • 血液型:O

トップルーキー2022 4963 實森美祐

2016年11月7日宮島ボートデビュー静と動のコントラストで輝く女流の星!

119期生は多彩だ。
井上忠政や黒野元基などの男子精鋭のほか、元気印の女子レーサーが目白押しである。
その代表は2022年早くもV2としている土屋南(岡山)。児島と浜名湖のヴィーナスシリーズを力強く押し切っている。
これに続く広島県福山市初の女性レーサーである。
「男女が同じ舞台で戦える」のが魅力と感じ飛び込んできたボートレースの世界。
「がんばればがんばるほど結果につなげられる」とも語る。
その穏やかで淡々とした表情の中に熱きハートが宿っており、ファンが「豪快なところがいい!」と評する精神的背景だ。
調整力、レース構想力、判断の厳しさ、思い切りのよさ、瞬時の対応力が総合され、それまでのB1からいきなりA1に昇格してきた。
G1初参戦となった2022年1月の芦屋周年記念で男子記念常連を相手に水神祭を飾っている。
美貌と勝負は共存すると教えてくれる女流である。


實森 美祐 選手
×
BOATBoy編集長
黒須田守
ロングインタビュー
前編

難病を乗り越えてトップルーキーへ

――まず、どういうきっかけでボートレーサーを目指したんですか?
實森 兄がボートレーサーを目指していて、ボートレースの存在を知ったんです。ただ、そのときは他人事のように見ていましたね。
――最初は「私も!」という感じではなかった。
實森 ただ、私はマリンジェットを趣味でしていたんですよ。水上スポーツで仕事になっている者があると知って、それでレース場に見に行かせてもらったら、「カッコいい!」と思いました。
――やはりマリンジェットとボートレースでは共通点もあるんですかね。
實森 エンジンの音、水面の近さ、とかですかね。
――それで、やまと学校(現ボートレーサー養成所)を受けようと思った。
實森 はい。3回目で合格しました。
――最初は受からなかった。
實森 正直、勉強とか真面目にやってなかった(笑)。難しいものだとは思ってなかったんですよ。中学卒業レベルと聞いていたし、私は現役の高校生なんだから行けるかなと思って。それで受けたら1次試験で落ちて、難しいんだなと知りました。
――僕も試験問題を見たことがありますが、ハッキリ言って、難しいと思いましたよ(笑)。
實森 そうですよね(笑)。高校卒業して、進路で悩んで、それで本気で頑張ろうと捉えました。ジムにも行ったし、部屋に貼り紙もして。
――貼り紙?
實森 数学の公式とかです(笑)。
――ああ、しっかり叩き込もうと。それで3回目で合格したんですね。
實森 はい。

――その頃、憧れのレーサーはいましたか?
實森 いえ、ボートレースの知識はまったくなかったんです。レース場に見に行ったのも1回か2回でしたしね。ただ、アニメの『モンキーターン』を見てはいたので、(主人公の)波多野憲二のモデルだったという濱野谷(憲吾)さんを知っていたくらいですね。
――あのアニメを見たということは、養成所での訓練の厳しさは当然、わかってましたよね。
實森 あまり不安はなかったです。私は大丈夫、っていう変な自信がありましたね。波多野憲二の気分になってました(笑)。
――ほお。同期とは仲が良かったですか。
實森 はい。ケンカもしたけど(笑)、仲は良かったですね。
――訓練時代の思い出はありますか。
實森 連帯責任が多くて、みんなで罰を受けることも……あと、朝早く課業の準備をしているときに朝日を見て感動したのを覚えています。
――学校は干拓された土地にあるので、地平線とかが見えますよね。
實森 そう、綺麗でしたねえ。
――訓練の厳しさで、辞めたいと思ったことは?
實森 辞めたい……何回かお風呂で思ったことはありましたね。でも、帰る場所はないと思ってました。逃げ場はないんだって。しんどいことはありましたけど、そう思って頑張りましたね。だから、卒業したときはやっぱり嬉しかったです。学校の外に出て、今までの生活から解放されたことで「これが現実なんだ」って(笑)。

――卒業したということは、プロのレーサーになったということです。
實森 その当時は、とにかく水神祭をしたいと思っていたのかな? 出たての頃は「いつかは優勝したい」とか、そういうのは思ってなかったと思います。まずは目先の水神祭を目標にしていた。
――不安はありませんでしたか?
實森 不安でした(笑)。卒業してから練習に行って、先輩と走ったりすると、スタートとか旋回とか、差がありすぎたんですよね。水面も学校とは違うし、「こんなんでレースできるんじゃろか……」って思ったりもしましたね。学校の時は、訓練生としかレースをしていないじゃないですか。それが身に着いちゃっているから、やっぱりプロのレースとは違いますよね。
――デビュー戦のことは憶えてますか。
實森 ボロボロでした(笑)。
――5着でしたね。
實森 2走目でフライングしちゃって……。
――ああ……。
實森 ぜんぜんスタートが行けなくて、それで焦っちゃって……。だいぶ落ち込みましたね。
――それは落ち込みますよね。
實森 それからも自信はなくなっていて、そういうなかで頑張ってはいたんですけど、ようやく「やれるかも」と思ったのは、水神祭ができてからですかね。

――デビューから約1年後のことでした(17年12月9日・平和島)。それからは割とすぐに頭角をあらわしてきたという印象なんですよ。
實森 その頃のほうが今より攻めるレースをしていたなって思います。
――えっ、そうですかね?
實森 勢いよく攻めていけてたし、それがハマることもありましたね。今は変に考えちゃって、それで失敗することもあるし、「こうしてこの間失敗したからやめておこう」ってのもあるかもしれないですね。それは歯がゆいところではありますね。
――一時期、成績が伸びなかったことがありますが、ケガをされたんですよね。
實森 ターンマークにぶつかった衝撃で、大腿骨の付け根の骨から血が出てすり減る症状があったんです。大腿骨萎縮症という病名です。
――骨から血が出る!? それはケガというより……。
實森 それでしばらく歩けなくて……。そのうち治るかなと思ってレースにも行っていたんですけど、やっぱり厳しかったんですよね。病院に行って、結局休むことになりました。
――そうだったんですね。
實森 復帰してからは勘が鈍って、しばらくは大変でしたね。違和感があるなかでレースをしていた感じです。

――それでも、今年の前期にはA1級に昇級です!
實森 何だったんだろ?(笑)
――実力が着いたということでしょう。
實森 まずはA級になりたいと思っていたんです。最初はA1級を意識したわけじゃないんですよ。それが、期末にA1級の勝率が見えてきたんですね。それでこのまま頑張ろう、って。休んでたことのブランクは気にならなくなってきていましたしね。
――それでA1級昇級。そのことでトップルーキーにも選ばれました。
實森 率直に言うと、私なんかでいいのかな、ってのがありますね。A1級もギリギリの勝率でしたし、7月からはB1級に戻っちゃいますし。トップルーキーにふさわしい実力もないし、正直プレッシャーではあります。でも、選んでいただいたことについては、本当にありがたいことだとは思っていますね。

後編へ続く(2022/11/15頃更新予定)
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ロングインタビュー
後編

ボートレースオールスターで
準優進出!

――トップルーキーにふさわしい実力はない、とおっしゃいますが、そうは思えません。というのは、上の舞台でも活躍したからですよ。まずは1月に、芦屋の周年に追加で斡旋されました。
實森 緊張しました(笑)。斡旋が来た時は「追加で!?」と思いましたが、「こんな機会もそうそうないぞ」と思いました。でも、芦屋に行くまでがすごく緊張しましたね。
――参戦しているのは凄い人ばかりですし。
實森 そう、知ってる人ばかりで。
――知ってる人!?
實森 テレビで見てた人ばっかり(笑)。
――そういう感覚でしたか。
實森 だから芦屋に行ってもすごく緊張しましたけど、楽しかったですね。
――楽しかった!
實森 そう、楽しい緊張でした。だから、また記念を走りたいと思いましたね。
――GⅠ初勝利の水神祭も果たしました!
實森 めっちゃ嬉しかったですね。
――上でもやれる手応えは掴めましたか?
實森 手応えというよりは、すごく勉強になった一節でしたね。今後、何かにつながっていったら、ってすごく思います。

――つづいてSG出場! 5月のボートレースオールスターにファン投票で出場しましたよ!
實森 思ってもいませんでした。(地元の)宮島で開催されるのは知ってましたけど、ファン投票についても気にしてなかったんですよね。もう他人事だと思っていて、選ばれるなんてぜんぜん想定してなかったんですよ。もちろん、地元だし「出てみたいな」とは思ってましたけど、まさか私が入るわけがないって思ってましたね。
――ふたを開けてみたら、地元広島支部で最多得票ですよ!
實森 驚きました(笑)。私にこんなに票を入れてくれるんだって……もう感謝しかありませんね。本当にありがたかったです。
――GⅠよりもさらに上のSGに参戦です。不安はありましたか。
實森 というより、希望を持って行けました。楽しみって気持ちでしたね。やっぱり芦屋の経験があったからでしょうね。ガチガチに硬くなるような感じではなかったと思います。
――前検日のモーター抽選。引いたのは宮島の絶対エース機・53号機でした!
實森 緊張しました(笑)。喜びの顔は出せなかったですね。平静を装ってはいたんですけど、正直プレッシャーでもありましたね。
――でもピットで見る限り、そんなふうには見えなかったですけどね。
實森 エース機を引いたからって、あのメンバー相手にやれるとまでは思っていなくて、自分の力を出せるように頑張ろう、って感じではありました。
――ピットでの作業を見ていたら、プロペラをガンガンと叩いていました。エース機のプロペラって、壊すのが怖くて叩きにくかったりするもんじゃないんですか?
實森 むしろ、いいモーターだから叩いたんです。エンジンがいいんだから、どんな形にしても大丈夫だと思ったんですよね。だったら乗りやすい形にしようと思って。いつもは足を求めて叩いたりしますけど、宮島ではいいモーターだからこそ、思い切り旋回できなきゃ意味がないと思ったんですよ。

――なるほど。それで大活躍ですよ!
實森 ぜんぜんです(笑)。
――いや、大活躍です! 特に4日目11R。4号艇でしたが、4カドからまくって勝ちました。3号艇があの毒島誠、1号艇は平本真之、一気に沈めましたよ!
實森 最初からまくりに行くと決めてたわけじゃなかったのかな。でも、躊躇はなかったです。相手も意識せずに思い切り行けましたね。
――あれは素晴らしかった! レース後の笑顔も印象的でした。
實森 嬉しすぎて覚えてないです(笑)。
――そして予選突破! 準優も5コースから攻めていきました。一瞬、優出が見えましたよ!
實森 一瞬見えた…………のかな?(笑)
――僕には見えました(笑)。
實森 (笑)でも焦ってましたね。
――初動でちょっとキャビってしまいましたね。でも、この活躍は自信になったんじゃないですか?
實森 SGのあの舞台でレースをさせてもらえたんで、今までよりは自信にはなりましたね。
――今までよりは?
實森 はい、今まではそんな感じではなかった。自信なんかぜんぜんなかったですね。ただ着を獲りたいから頑張ってた感じなんです。
――SGでこれだけの成績を残せたんだから、自信をもっていいと思います。
實森 エンジンも良かったんで……でも、すごく学びになる経験だったと思いますね。

――SGを経験して今後、どのような展望をもっていますか。
實森 Fしちゃったんで……(イースタンヤング初日)。
――ああ、そうでした。
實森 だからスタートに頼らずに、旋回の質を上げて着も上げていけるようにしたいですね。スタート一気、みたいのはやめようと思ってます。スタートについては質のいいスタートが行けるようにして、そこから旋回力で勝負したい。そうやって地力をつけていきたいですね。
――そのうえで、すぐにA級に復帰してほしいですね。
實森 もちろんです。
――できればA1で!
實森 はい!(笑)






水神祭記録

初出走
2016年11月7日~ ボートレース宮島 一般
初1着
2017年12月6日~ ボートレース平和島 一般
初優出
2018年7月17日~ ボートレース丸亀 一般

Q & A

Qトップルーキーに選ばれていかがですか?
A不安が大きいですが、選んでもらったからには結果を出せる様に頑張ります!うれしいです。
Q自分のレーススタイルを教えてください。
A握って攻めて行くレースだと思っています。
Q同世代でここは負けない!というところはありますか?
A良い意味での楽観さ、適当さ。
Qリラックス方法をおしえてください。
A音楽を聴く。甘いものをたべる(チーズケーキ)
Q2022年の目標を教えて下さい。
A初優勝!!
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